ヤマニンゼファーの思い出

ヤマニンゼファーが亡くなりました。

29歳、大往生ですね。


ロンリーロードにとって、

競馬を観戦して間もない頃の活躍馬たちの一頭で

とても記憶に残っている馬でした。


スプリント、マイル路線の王者、ヤマニンゼファーが、

春の中山記念、そして秋の毎日王冠を経て望んだ、

秋の2000m天皇賞は、特に思い出深いレースでした。


当時、秋の天皇賞のトライアルレースといえば、毎日王冠が王道で

1着:シンコウラブリイ
2着:セキテイリュウオー
3着:ナイスネイチャ

で、ヤマニンゼファーは6着でした。

多くの競馬ファン同様、父:ニホンピロウイナー という事もあり

ロンリーロードも「やっぱり距離が長いんだな」と思ってました。


迎えた天皇賞(秋)で、ロンリーロードは、

明け4歳(当時は明け5歳)で宝塚記念を4着してても、毎日王冠を2着してても

人気はいまひとつであった、1つ年下のミホノブルボン世代のセキテイリュウオーを本命に据えました。

当時は割と一頭の馬を追いかけているところもあり

セキテイリュウオーは2000m前後なら、

G1勝てるレベルの馬だと思って、応援していた記憶があります。

バイト先の予想談義でも先輩や通のおじさん達にも力説してたような記憶があります。


結果は、2着だった訳ですが、よもや、スプリンター/マイラーだと思っていた

ヤマニンゼファーに負け、びっくり!、がっくりしました(馬券的には100円当ってましたが・・・)

この時のトラウマは、今でも、府中の1600,2000m レースの馬券購入では、

柴田善臣騎手の騎乗馬は押さえてしまうのが、癖になっています。



血統的な背景は違いますが、レースの使い方でいえば、モーリスの先輩ですね。


今振り返ってみると、現在の日本競馬で主流となっている、

Hail to Reason ← Turn-to系のサンデーサイレンス、ブライアンズタイムも皆、

Turn-toから5代後のニホンピロウイナーや3代後のリアルシャダイの産駒が

好走したからこそ、今があるように思います。


そんな思い出のある、ヤマニンゼファー

ご冥福をお祈り致します。


ヤマニンゼファー





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